「打倒・積読!」宣言
春から大学を休学して、東京に移住し、とある企業でインターンシップをさせていただくことになった。そんなわけで京都の下宿も綺麗サッパリ、引き払う用意をしなければならない。さきほど、2015年の暦も2月に突入した。この1か月の間に「断捨離男子」として大きな成長を遂げ、晴れてすっきり爽快なかたちで、京都を発ちたい。
そんな僕の断捨離ライフにおいて目を背けてはならないのが、大量の積読本である。この方たちを避けては通れまい。ここまで3年間の大学生活を通じて数々の本と巡りあってきた。人様から頂戴した本、古本屋で一目惚れした本、実家の書斎からかっぱらってきた本。それぞれの出会いは今でも思い出せるもの。ほんとに、いつどこで手に入れたものだとかは、けっこう覚えている。それだけ、本との出会いというものは、この上ない幸せなのである。
だがしかし、手に入れたときは「サァ読むぞ!」と息巻いているものの、時が経つにつれなんとなく読む気が失せてしまうこともしばしば。初めに出会ったときの感動はいったいどこへやら。「日々の忙しさ」などという幻想にかまけて、一向に手に取ろうとせず、また新しい本を入手してくる主人に、ほとほと愛想を尽かせているのではなかろうか。
これではいけない。仮にも、大学3年間をともに過ごしてきた「仲間」であるわけだ。これらうずたかく積まれた仲間たちの「累積の念」(訳:つべこべ言わずに早よ読めや)を消化せずに、東京へ行けるわけがない。そうだ、僕は、克たなければならない。自分に。そして、積読本の皆々様に。
てなわけで、積読を消化していくために、今日からとりあえず1か月間は読書記録としてこのブログを利用することにした。おおかた自分のため!!自分に打ち克つため!!!で、もし読んでくださった人のなかにひとりでも、何か得られるものがあったなら、それはそれは嬉しいことでございます。という営みを、していく、宣言。
※ちなみに、今回のプロジェクトの目的は「読書記録ブログをしたためることで、積読を消化する習慣を身に付ける」ことにあるため、上京までにすべての積読を消化することが目的ではない。また、積読のなかには、おおかた読んであっても最後まで読み終えていないものもある。今回は最後まで読み切ることをもって、読了とみなしたい。てか、積読本の冊数を改めて数えてみたら3桁の領域に到達した。ちょろっと全体に目を通してあとは手を付けないのが著者の読書グセなのか。そういう読み方もあるかも分からんけど、時間のある大学生活の今だからこそ、読み込めるだけ読み込んでおきたいもの。
御託は置いといて、早速1冊目。
東京で、チャンスをつかめ
冒頭で述べたように春から上京する僕にとって、「東京ってどんな街?」「東京でどんなことができるだろう?」ということについて考えることは、なかなか重要なのである。
東京。そこは、多様な人種、多様な価値観、多様な出来事がごっちゃ混ぜになっている、カオスな空間だ。多くの困難が待ち受けている代わりに、多くのチャンスもまた存在する。若くして状況を志す僕ら若者は、ここでの生活を最大限利用して、己の生き方をつくりあげていくことができる。
著者は、時間の大切さを説く。時間は、この世で最も貴重な資源であると。そして、若さとは有り余る時間の象徴である、とも。この時間を具体的な行動に充てることではじめて、アタマではなくカラダで物事を理解することができる。
具体的な行動の先に、感じたこと知ったことをまた、日々の生活に還元していく。そういう循環を生み出していきたいものである。