あふれんばかりのいとおしさを、愛すべきヘンタイたちに贈る/森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』
あふれんばかりにいとおしい。このひとことに尽きよう。
常人には理解しがたい変態的趣向。青春を棒に振ってやまない頽落的日々。「俺たちに明日はない」と自分に言い聞かせるように(本当は明日のことなんて考えたくないだけ)今のみを生き抜く。そんな京大生がほんとうに、いとおしい。
京大生の日常は一般人のそれからすれば非日常だと言われるかもしれない。たしかに、根っからの変人ばかりが跋扈する魔窟のような様相を呈するときもあれば、なんのことはない普通の大学生が普通に勉強して普通にバイトして普通にサークル活動して普通に就職活動してるじゃん、という印象も受ける。内部事情はだいたい、そんなところだ(基本的に大学に足を運んでいない僕が言うのもなんだが)。参考までに下の記事を挙げますが。
圧倒的自由!?京大生のすごすぎる「日常」10選 | SENSE KYOTO
そんな京大を舞台にした作品が面白くないわけない。少なくとも僕にとっては。
「人間として、力の入れどころを激しく間違っているよね」
世の大学生らしい恋もせず、勉学にもうだつの上がらない「私」の前に、僥倖とでも言うべき一筋の光明が差しこんだ。同じサークルの後輩である「彼女」への淡くも一途な恋心を胸に、物語は進展していく。
容姿端麗にして酒豪の歯科衛生士、羽貫(はぬき)さんをして「人間として、力の入れどころを激しく間違っているよね」と言わしめた「パンツ総番長」よろしく、僕に言わせれば本書の登場人物みんな、人間として力の入れどころを激しく間違っている人たちだ。羽貫さん、アンタもだ。主人公の「私」にしろ「彼女」にしろ、物語中で数々の暗躍を見せる「樋口さん」にしろ、木屋町先斗町界隈で裏世界の実権を握る「李白翁」にしろ、である。これら登場人物たちが繰り広げるドタバタ劇が、ほんとうにいとおしくてしゃーない。
ひとことで言ってしまえば、「どうでもいいこと」なのである。夜の木屋町でしこたま飲み比べをしたり、下鴨神社の古本市で古本市の神に化かされたり、秋の学園祭で偏屈王事件の謎を暴いたり、冬の京都で魔風邪恋風邪が大流行したり。カオスすぎて何が何だか分からなくなるが、その意味の分からなさ、転じて「どうでもええでっしゃろ」感が、いっそう物語に対する愛着を深めさせる。
まぁ、こうしたいとおしさを感じられるのも、僕が京都での生活を過ごしているからかもしれない。よく知る場所や行事、京大生の日常(虚実入り乱れるが)が、この作品をより深く味わわせるスパイスとなっているのを感じる。
もっと京都が好きになってしまったなぁ。はぁ。