つなろぐ。

日々を綴る。

世界は己の写し鏡

3/5の投稿:他人嫌いは自分嫌い - 日々是好日。

を読み返していたら、これに関連することで少し思ったことがあるので。

 

他人は変えられるか?

自分の力で他人を変える、というのはかなり難しいことだと思います。

人間って、そんな簡単に変わるものじゃないでしょうから。

お金をいくら積まれても変わらないものは変わらないし、感動的な自己啓発のお話をいくら聴かされても変わらないものは変わらない。

こうした方法では、あまり切迫感がないですからね。

お金を積まれても、いざ行動するとなったら面倒くさい。

自己啓発本を読んで、セミナーに参加して、イイ感じになって、それで終わり。

 

では逆に、罰則を用意したり命の危険にさらしたりすることで、強制的に変えようとする方法もあるかもしれない。

しかしながら、こうした変化には恐怖心からの行動がつきものです。

「怒られるのが嫌だから」「殴られるのが嫌だから」

そうした恐怖の感情から生じた行動で変化が起きたとしても、その変化は果たして本当に実のあるものになるでしょうか。

「○○が嫌だから」「○○になりたくないから」

そこには、否定形の様態をとってでしか、自分を形づくる言葉が存在しません。

否定形の言葉って、潜在意識では認知しないらしいですね。

つまり、「○○しないようにする」といくら念じても、そのメッセージが潜在意識に届くことがないのであれば、実際の行動が変わることはない。

また、恐怖や罰則の力を借りて一時的に行動させたとしても、そのような動機から行動する者は、また別の恐怖や罰則によって簡単に操作される。そんなもんでいいのでしょうか、果たして。

 

そうではなくて、

「○○が好きだから」「○○でありたいから」

このように、自分が好きなことや自分の望むあり方を理由とした行動で変化を起こす方が、気持ちのいいものになるだろうと僕は思います。

 

 

とは言うものの、

「何が好きか分からない」「こうありたい、なんてものがない」

という人が多い現状、この方法をもってしても、他人を変えることは難しそうです。

(というか、「自分の好きなことに正直になって生き方を変える」なんていうのは、他人が口出しできる問題の範疇を超えてしまっていますね。その人自身がどうするのか、というところにかかってきています。)

 

結局のところ、人が、自身の力で他人を変えるなんてことは、甚だ困難なことのように思えてきます。

 

他人を変える前に自分が変わってみたら

「他人を変える」ということが難しいと分かった以上、次なる方法は、「自分が変わる」ということでしょう。

もうちょい具体的に言えば、「自分の世界観を変える」、さらに言えば「自分の"眼"を変える」というところではないでしょうか。

 

めっちゃよくある例が、相手のネガティブ面をポジティブ面として捉え直してみましょうってやつ。

  • 「うるさい」→「陽気だ」
  • 「ノロマ」→「慎重」
  • 「おせっかい」→「面倒見がよい」

以下省略だけども。

実際、相手の特徴には一切の変化も起こっていない。けれども、自分はそこからポジティブな面だけを切り取って見ることができる。

これって、自分が変わることで相手が変わったことにしてしまう、一種の消極的なアプローチですね。相手に対して積極的に関与することなく、自分が変わることで問題を解決してしまう。

他人を変えることに対して大きなコストを割くよりも、自分が変わるだけで生きやすくなる。そういう選択もあるのかもしれません。

 

自分が変わればそれだけでいい、のだろうか

ただ、どうも引っかかるところがあります。

相手は変わらないんだけど、自分だけは変わる。自分に見える世界を変える。そうすることで、自分から見える相手の姿を変える。相手に対する自分の認識を変える。

そうすることで、相手は変われたものとする。これって、ラクなように見えるけど、でも、なんか釈然としない。。。

相手のことを考えてみれば、相手は実際には変われていないわけだから。

「相手を変える」

そのことが当人のためになるのかどうかは分からないけど、明らかに変わらなきゃいけない場合だってあるだろう。

 

「自分が変わって、それでもって、相手も変わる」

そういう動きを生み出せるのが一番いいんじゃないかなって思う。

 

世界は己の写し鏡

自分が今見ている世界は、自分の価値観や認識様式によって切り取られた世界である。

だから、同じものを見ていても、人によって異なった見方がある。

そう考えてみると、ある人に見えている世界は、その人自身を投影していることになる。

「世界は己の写し鏡」になるわけである。

 

世界がそうであるならば、目の前にいる他者だって、同じこと。

他者は己の写し鏡である。

他者を変えようと思うのならば、まず自分が変わらなければならない。

他者は鏡の中の己自身である。

自分の顔についた汚れを拭き取ろうというのに、鏡を拭いてばかりいても、顔は汚れたままである。

鏡の中の自分の顔をきれいにしたいのならば、まずはこちら側にいる自分の顔をきれいにしなければならない。

 

 

そうじゃないかなって、思いました。

3/5の投稿:他人嫌いは自分嫌い - 日々是好日。から、このことをモヤモヤと考えていたのですが、やっぱりうまく言葉に表しきれないですね。

なぜ自分が変わることで相手が変わるのか。そこんところを深めるのがむずかしいです。これからも考え続けるべきテーマでしょう。

 

お読みいただきありがとうございました。

おしまい