つなろぐ。

日々を綴る。

糸井重里さんの講演会に行ってきた。

「はたらく」ってどーゆうこと?

「企業のあり方」ってどうあるべき?

「おもしろい」ってなに?

 

糸井重里さんの講演会が京大のすぐ近くで催されたので、聴きに行ってきました。就活キャリアセミナー的な位置づけだったのですが、そんなことは関係なく、「ナマ糸井重里さんの話が聴ける」ということだけを楽しみに行ってきました。特に書き残しておきたいことだけまとめておきます。

 

「はたらく」ということについて

糸井さんは小学生の頃、他人から怒られるのが非常に嫌だったらしいです。ほんで周りの大人を見ていると、どうも「会社という組織の中に入って仕事をしていると、日常的にたくさん怒られなければいけないらしい」ことに気が付きます。このころから「はたらきたくない」ということで真剣に悩んでいたそうです。

怒られたくないがためにフリーで生きることを目指したことで、広告業界に入ったのちも長きにわたるフリー活動を続けることになり、結果として現在に至るための下積みになったのでしょう。

今では「ほぼ日刊イトイ新聞」の主宰として経営の道もひた走る糸井さん。60人ほどのチームを背負っているわけですから、ともにはたらく仲間やその家族など、もっと多くの人のことを考えながらはたらく必要が出てきたと言います。

『辛くて苦しい仕事なんてしたくないから、その仕事をどうおもしろくしていくか、というところに考え方がシフトしてきている。』

『プロジェクトの局面ごとに意味を付与するんじゃなくて、利益を出すこと、人を喜ばせること、生きること…すべてが有機的につながり一つの総体としてまとまっているってのが、いま思う"はたらく"という言葉の意味。』

 

「これからの企業像」をおもう

企業のあり方についてもお話しされました。

今の会社ってどこも、予算だ売上だ市場占有率だと、数字を目標にするところがある。でもそれって、ホントに企業の目指すべき姿なの?数字じゃない目標だとか、損得勘定じゃない目的は存在するんじゃないのか。

たしかに、どこの企業だって経営理念だけ見りゃ素晴らしい。けどそれって、ただの巧言令色に終わってないか、と。カネや数字ばかりに合わせた経営をしていては、何か大切なものを見過ごしてしまうのではないか、と。

『カネに見合わない価値(社会に対する影響・人を喜ばせることなど)も含めた利益を真に考えられているかどうかが、これからの企業に求められてくるのかなぁと。また、そうしたところまで考えたうえで力を貸してくれる投資家が増えてきてくれると、もっといいのになぁ。』

 

また、企業のあり方を考えさせられる事例として「雪かき・祭り・山の茶屋」を挙げていました。

【雪かき】…とある雪の日を想像する。自分の店先とその両隣の軒先の雪、どうします?雪かきしますよね。それは自分のお店で商売しやすくするためだけじゃなくて、隣近所の家のためにもなるし、通行人のためにもなる。だから、雪かきをするのだ。でもそこで、雪かきのための人件費とか日当とかを考えだすから、おかしなことになる。雪かきは金稼ぎのためにやってるんじゃないでしょう。では、何のためにやるのか?

【祭り】…京都では祇園祭が有名です。そしてこの大がかりな祭りを成功させるために多くの企業が協賛しています。そんな中、「祭りを運営するのって大変だしお金もかかるなぁ、じゃあウチの企業は協力しませーん」とはならないでしょう?祭りって損得勘定でやってることじゃない。では、何のためにやるのか?

【山の茶屋】…旅人のために、山の中にポツンと茶屋があるそうです。あるところにはあるらしい。その茶屋って、経営するのめっちゃ大変じゃないですか、山の中にポツンとあるだけだし。でもなぜやるのか?利益だけ考えていたら当然割に合わないのに。何のためにやるのか?

 

これらの具体例から、「数字じゃないところにこれからの企業の価値はあるんじゃないのか?」という糸井さんの問いかけが見えてきます。

『ビジネスって聞くと、みんな利益とか数字とかのことを先に考えがち。それも大事だけど。ビジネスってのは、利益を出しながらも、雪かきだとか祭りだとか、そういうこともやっていくことなんです。そういう部分に尽力していくことが、結果として企業の成長につながっていくのだと思います。』

 

「おもしろい」ってなんぞや?

質疑応答の時間で、ある学生から出された質問。

「糸井さんにとっての、おもしろいってなんですか?」

これに対し、糸井さんの回答、

『「ころがる」ということです。』

 

「ころがる」―言い換えれば、他のアイデアを呼び寄せて次々と発展していく状態のこと―これを糸井さんは「おもしろい」と感じるそうです。

例えば、犬の話をしていたとして。犬ってなんで人気なんだろうかとか、人と犬の関わりの歴史とか、「今、犬にとってもっとも幸せな暮らし」は何だとか、色々アイデアが膨らんでいく。当初予想もしなかった方向に思考が発展していく。そういうときにおもしろさを感じる。なるほど。

 

自分に問いかけ続けろ

「言葉というのが苦手。経験しないと気が済まない性分。本とか講演とかに意味はあるのか?」という質問もありました。

糸井さん曰く、まずは歴史に聞いてみるとのこと。

人類が誕生して50万年ほどは、無文字文化だった。言葉のない時代、人間は歌や踊りや見よう見まねで大切なことを後世に伝えていったのだろう。だから、実体験で学ぶ方が分かり易いってのは、人間として当たり前なんだということ。言葉より踊りの方が伝わるのだ、本当は。言葉なんて上澄みのエキスでしかないから。

けれど、言葉ってとても便利なんだ。ただの上澄みでも、いい味を出すことがある。そういう意味で、本にも本のいいところがある。だから使うよりほかない。そのジレンマを感じながら言葉を扱うのだ、と。このへんはなかなか難しいところだったようで、あえてぼやかしている感じでした。

 

「気持ちをうまく伝えられるような言葉を使うにはどうしたらいいか?」との質問には、

『自分に問いかけ続けることです。伝わる言葉を研ぎ澄ますためには、自問自答を繰り返すより他ありません。どれだけ自分に質問したかが自分の言葉となります。』と答えていました。

『例えば、「あなたのことが好きだ」というメッセージを伝えるときに、これでもかというくらい自問自答してみてください。どこがどう好きだったのか?どういう方法ならもっとも望ましいように伝わるのか?そもそもホントに好きなのか?と。質問者と回答者が自分の中に共存しているのですから相当の時間と労力がかかりますが、その分だけ磨かれます。』

また、どんなに自分に問いかけたからといって、じゃあ相手に伝わるのかといえば、そうだとは言い難いところもあるらしく。つまりは、自問自答を繰り返すことで自分という存在が何を考えているのかすら充分に摑めていないことが判明するのに、いわんや相手を理解して伝えきろうなんてこったぁとんでもないことだと。言われてみればたしかにそうですね。けれども、その葛藤を繰り返す中に本当に伝わる言葉は隠されているのだろう、とも。言葉職人の口から語られると、重いですね。

 

 

 

とまぁ、新たな発見があったり前々から大事だなと思っていたことを再確認できたりと、楽しい2時間でした。最近は就活セミナーとかぼちぼち顔出してるけど、こーゆうゆるめな感じで考えごとのできる機会は嬉しいですね。こうした機会はこれからも使っていくつもりです。

 

お読みいただきありがとうございました。

おしまい