つなろぐ。

京都の大学生、日々を綴る。

「明日野郎はバカ野郎」・・・?

 

明日があるさ明日がある

若い僕には夢がある

いつかきっと いつかきっと 

わかってくれるだろう

 

「明日がある」なんてこと、どこの誰にわかるだろう。

この平穏な日常も、いつ終わりが来るかわからない。

たまたま日本という国に生まれて、たまたま普通の暮らしに恵まれた。

その日常が突然終わる。

明日は来ない。僕の人生、これにて終了。

今日がその日。そんな可能性も、ないとは限らない。

おわりのその日はいつ来るのか。

それは誰にもわからない。

 

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「今日が人生最後の日だとしたら、私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか」

スティーブ・ジョブズスタンフォード大の卒業式で語ったスピーチの、有名な一節。

 

今日が人生最後の日だとしたら。

今あなたがやりたいことは、本当に心から望んだことだろうか?

 

たしかに、日々こうした問いかけを自分自身に課すことは、人生に大きな影響を与えそうだ。こういう意識でいることは非常に大切なんだろうということは察せられる。

 

ただ、それが自分にできるだろうかと考えると、ちょっと疑問。

 

 

ジョブズのように、「今日この日を人生最後の日だと思って、毎日を生きなさい」とか言う人、たーくさんいるけど、

 

残念ながら、今の僕にはそれが実感として摑めるような気がしない。

 

それはなぜかって言えば、多分だけど、「彼らとは、違う人間の、違う人生を歩んでいるから」だと思う。

 

僕はいま、自分自身の死を、人間のいのちを、リアルに感じることができていない。

 

子どものころ、親類の死を経験したときは、いのちって本当にあるんだなぁって感じだった。「大切なものは失くしたときにはじめて気づく」って本当なんだなって思ってた。けど、今はリアルに感じられない。

2度の大地震被災したにもかかわらず、まだ生きてるってことは、それはそれで奇跡的なことなのかもしれない。けれども、あの2度の震災も、「今・ここ」では、僕に死を想起させるほどのインパクトを持ち得ていない。

 

つまり、今の僕は日常において、死というものをまったく意識しないままに生活しているということになる。

 

自分でも書いてて、ヤバいなコレ、って思うけど。

お前のいのちは当たり前なんかじゃねーよ、今生きてるのは奇跡的なことだよ、って一応わかっちゃいるけどさ。

それでも、みんなどこかしらそういうところを抱えているんじゃないかな、とも思う。当たり前のような日常の中に生かされていると、いつしかいのちの尊さが毒されてしまう。そんな感覚。

 

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「明日死ぬと思って今日を生きなさい」

そう自分に課して、その通りに生きられる人を、本当にすごいと思う。

けど今の僕には、その通りにできないなぁ、と思う。

 

「明日死ぬと思って…」なんて、そんなこと信じられるの、本当に死にかけたことがある人間にしかできないんじゃないか。いのちの在り処をリアルに感じたことのある人間にしかできないんじゃないか。

できる人間と、できない人間がいる。

とても、単純なことだ。

 

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「明日死ぬかもしれないと思う人間は、限られている時間を目いっぱい生きるんだ」

そんなことを言う人がいる。

でもそれは嘘だと僕は思う。

人は自分の死を自覚したときから、生きる希望と死への折り合いをゆるやかにつけていくだけなんだ。たくさんの些細な後悔や、叶えられなかった夢を思い出しながら。 

 

川村元気『世界から猫が消えたなら』小学館文庫,pp.199-200

 

この小説の主人公「僕」は、ある日突然、脳腫瘍の診断を下される。そして残りわずかな余命を宣告される。すると自分にそっくりの「悪魔」が現れて、あるゲームを持ちかけられる。世界から何かを消す代わりに、一日の命が与えられるというゲーム。大切なものをひとつひとつ消していくなかで、最後に「僕」が思うことは――

っていう感じの話。

 

上の引用が、僕の思っていたことを、それっぽいかたちで表現してくれている。

何でもない日常を享受していた者が、突如として苦悩のどん底に突き落とされて、自分のいのちをリアルに感じて、それでようやく「明日死ぬと思って今日を生きる」ことができる。

その変化は、デジタルスイッチのオンオフのようにパッと切り替わるのではなく、アナログな時間の経過のなかで徐々にもたらされるのだ、と。

 

あー、自分の抱えていたモヤモヤって、こういうことだったんかなって。

完全にスッキリとはいかないけれど、こういう考え方が自分にはしっくりくるかなぁと思った。

 

「全力で生きようぜ」ってメッセージが飛び交いすぎている気がする。僕の周りだけかもしんないけど。

そりゃあ人間、ひとりひとり違う人生があるから、死やいのちをリアルに感じられる人もいるんだろう。そしてそれを、日常の生の糧にできる人もいるんだろう。

けれど、それはあなたの事情であって。今の僕には、それを本当に感じることができないでいる。「あぁそうか」って物分かりよく、パッパッと全力スイッチをオンにできるわけじゃない。

そういう生も、あっていいんじゃないの。むしろ、あって当然だ。

 

「明日野郎はバカ野郎」とはよく言ったものだ。僕だって、明日があることを盲信せずに今日を全力で生きることを、自然にできる人間になりたいと思う。

でもそれができないってことがあっても、いいじゃんって思う。そういう立場にいるってだけの話じゃないのかな。

 

まぁそういうときもあるよねって話です。

 

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世界から猫が消えたなら

世界から猫が消えたなら

 

 

お読みいただきありがとうございました。

おしまい