つなろぐ。

京都の大学生、日々を綴る。

誕生日に幸せを感じる理由

単純に考えて、「感謝」ではなかろうかと。

 

誕生日には、たくさんの人がお祝いのメッセージをくださいます。

そのひとつひとつに、「ありがとう」で返します。

これだけで、幸せになれてるんじゃないかな、と。

 

普段、ここまで「ありがとう」を意識することなんて、めったにないですよね。

今はSNSが発達しているから、友だちの誕生日とかすぐに把握できる。「おめでとう」をすぐに伝えられる。その簡便さも手伝って、多くの祝意がひとりの元へと集まりやすくなっている。

それらひとつひとつの「おめでとう」に対し、ひとつひとつ「ありがとう」で返していく。

その行為自体は単純かもしれないけれど、効果は絶大です。

感謝の意を言葉にしていく。その気持ちが伝わっていく先は、相手だけではありません。他ならぬ自分に対しても、「ありがとう」の気持ちは伝わっていきます。

 

ここまでともに生きてくれてありがとう。

みんなに出会わせてくれてありがとう。

こんなに幸せな日を生きてくれてありがとう。

 

忘れちゃいけない、自分に感謝する日でもあるよね、誕生日。

 

 

 

もちろん、ここまで生かしてくれたすべての人と出来事に感謝する日でもあります。

自分がこの世に生を受けたのは、ありとあらゆる偶然が重なった奇跡であるわけですから。

命のバトンをここまで繋いできてくれた親と家族には、大いに感謝したい。

 

まぁでもそれって、「誕生日だから感謝する」っていう理屈ではありませんよね。

誕生日は、日頃感謝すべきものに気付かせてくれる契機としての役割を果たしています。それ自体は何でもない日常の一コマにすぎません。数多くの「おめでとう」と「ありがとう」によって、何でもない日常の幸せが成り立っている。それに気づいてこそ誕生日のありがたみが分かるのではないでしょうか。

 

 

「へっ、俺には誕生日を祝ってくれる人なんていねぇよ。」

そういう人もいるかもしれませんね。

ただ、幸せを感じるために、絶対に「祝われる」ことが必要であるとは限りません。

「おめでとう」と言ってもらえた、だから「ありがとう」と言った。

これでは、「誰かに何かをしてもらわなければ幸せに成り得ない」人生の始まりです。

そうではなくて、自分から感謝の意を表現したからこそ祝ってもらえたり受け容れてもらえたりするのだと。そういう風にとらえ直すことで、感じる幸せの質も量も変わってくると思います。

 

最近、身近な人の誕生日が続いたので、思ったことを書いてみました。

Facebookを眺めていると、知り合いの誕生日がずら~っと流れてきますね。

それぞれにとっては特別な一日かもしれない。けれど、世間、一般人から見れば何でもない一日。そう考えたら、誕生日なんて1年365日あるうちの何でもない一日です。

その何でもない一日をこれほどまでに幸せに過ごすことができるのは、たくさんの「ありがとう」に囲まれているから。何でもない一日でそれができるなら、残りの364日も「ありがとう」に囲まれた幸せな一日にできるはず、だよね。

 

 

お読みいただきありがとうございました。

おしまい