つなろぐ。

京都の大学生、日々を綴る。

ふとしたときに、地震が来るんじゃないか心配になることってありますよね。

杞憂でしょうか。

ふとしたときに天災に遭難するんじゃないかという心配に駆られることが多いです。なぜなのかは知りませんけれども。

東京をはじめ、都会を訪れるときには周りをキョロキョロしてしまうんですが、物珍しさからそうしちゃうわけではなくて、単純に「今ここで震度7地震が起きたらどうやって生き延びようか」みたいなことを考えてしまいます。

最近なんか、京都の下宿にいるときでもふと心配になったりします。
「ここ京都だけど、建物の耐震性って大丈夫なん?」とか「4階ってどんくらい揺れるんだろ」とか「大地震が起きたらどこに避難すればいいんだろ」とか。

僕が住んでる地区もそうなんですが、京都の街並みって、細い路地に区画されたスペースに家屋が密集しているんですよね。そんなところで大地震が起きたら、連鎖的に倒壊したり火災の延焼が起きたりしそう。自分のアパートだけの問題ではなくなってしまいます。


ところで、1回生の春に、地球科学者の鎌田浩毅教授の講義を受講したのですが、その時に聞いた話は今でも印象的です。
「2030年代には、ほぼ100%に近い確率で"西日本大震災"が起こる」
こんな話を聞いてしまえば、地震に対して心配することも、ただの杞憂に終わらない意味を持ちそうです。
この"西日本大震災"が実際に起こったならば、日本は一体どうなってしまうのだろう。

故郷新潟の中越で2度の震災を経験し、地震にはもう懲りた。東京は関東大震災が心配だし、関西に行っときゃまぁ大丈夫だろう。
そういう思いもあって京都に進学したのに、実は関西のほうが危険だった。なんたる皮肉か。てゆーか、自然災害のことを考えたら日本にもう逃げ場はない。だめだこりゃ。

ほんで今はこのエントリを、夜行バス内で書いてます。夜行バスの事故もいくらか耳にするここ最近。心配し始めたらキリがない。



と、こうした杞憂は尽きないものです。

今日は何となく思ったことを書いてましたが、明日は3月11日。東日本大震災から3年ですね。
「自分たちの生活はこれから先もずーっと続くんだろうな〜」なんて思ってた日常が、あの日を境に葬られた。
いつ何があるか分からない。自分にもそういう日が来るのかもしれない。
そう心に刻みつけて日々を過ごすのは、非常に重い生き方です。
ただ、そうした心の準備をしておく必要はあるのかもしれません。そのとき、一見杞憂に見える不安が、未来の自分をいくらか救うことにもなるのかもしれない。ホントにそうなるかは分からんけど。
だから杞憂も捨てたもんじゃないのかな、って思いました。

お読みいただきありがとうございました。
おしまい