つなろぐ。

京都の大学生、日々を綴る。

【雑感】「ゆとり世代」と「若者論」について思うこと

 お久しぶりです。

1年以上ぶりでございます。はてなにも戻ってきて、ついでに1年間の休学&東京生活も終えて、京都に帰って参りました。目下、就職活動中ですが、息抜きとして、いろいろゆるゆると書いていこうかと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

先ほどFacebookを眺めていたら面白そうな記事があったので、それについて少しばかり雑感を。

gendai.ismedia.jp

ゆとり世代」と「若者論」について思うこと

ゆとり世代」の学力が高いかどうかは実感値としてはよく分からないところだが、国際的な調査によれば日本は高ランクに位置するのは間違いない。
 
でも先輩方が「ゆとり世代」に苦言を呈したくなるのは、学校のお勉強の出来云々よりもむしろ、いわゆる「非認知能力」(自制心があるかとか、相手の気持ちを慮った発言ができるかとか、主体的に創造できるかとか。カチッとした定義は置いといても、多分そんなところだろうと認識している)の部分じゃないのかなって思っている。
 
じゃあそこが弱いとして「ゆとり世代」を一括りに揶揄するのも、なんだか変な感じがする。
 
そもそも、個性尊重を謳って実施されてきたゆとり教育なのに、その結果を「ゆとり世代」として括ってしまうことによる没個性化は、矛盾じゃないかな。
(さらに言えば、77-78年の学習指導要領改訂によって、小学校では80年度からゆとり教育がスタートしている。現代の若者に苦言を呈している先輩方がいらっしゃるとすれば、それもまた(性格は違うとはいえ)当時のゆとり教育に浸かってきた世代には違いない。)
 
話は変わるけど、「最近の若者は…」という若者論・世代論はいつの時代も繰り返すようだ。もし自分がオジサンになったときには、その頃の若者たちの在り方は、自分たちの施した教育の結果であるのだと素直に認めたい(些かおこがましいことかもしれないけれど)。
そういう意味で自分は将来、教育に対する責任感を持って若者たちと接したいな。昨年の東京生活で、行きつけの居酒屋やバーのカウンターで出会った先輩方は、こんな若造の話を、内心「青いなぁ(笑)」と思いながらも、真剣に聴いてくださっていたのだと思う。そういう優しさのある大人になりたい。
 
一方でにもあるように、若者サイドも「ゆとり世代」という枠組みを使って自己を表明するのは、ちょっといただけない。「ゆとりですがなにか?」と居直るのではなくて、自分は何者なのかを自分の言葉で表明していかないとなぁと。「ゆとり世代」の上にあぐらかいてちゃ、いつまで経っても大人におんぶにだっこの構造から抜け出せないや。