つなろぐ。

京都の大学生、日々を綴る。

ひとりぼっちが寂しい人へ

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故郷に戻っていた。

夏の帰省は10日ほど。

ゆったりとした時間を過ごすことができた。

 

実は今回の帰省、大切なことを気づかせてくれた。

 

 

深く、温かい人間関係

大学3回生にもなって10日間も帰省できるというのは、なかなか有り難いことである。

同級生は、バイトやらインターンやら実習やらで忙しい時期。

中にはもう社会人として働いている人もいるしね。お盆休みがあるだけ貴重なくらい。

 

その、貴重な貴重な10日間のなかで、僕は今回、いろんな人と再会し、いろんなことを話した。

 

 

地元の中学校の学習ボランティア。中学生と話した。

お盆参り。親戚の方々と話した。お寺の住職さんとも話した。

近所のチビッ子とも遊んだ。ホントにかわいかった。

小学校の同窓会。小学校、中学校卒業以来の人とも会えた。

高校の同窓会。友人、先生とも久々に話した。ま、こないだ成人式あったし、僕は帰省の度に高校に遊びに行ってるから、そこまで久々感はなかったけれども。ただ、卒業以来の友人とか、離任された先生とかとも話すことができた。

高校のクラス会とか、中学の友人と遊んだりとか。

母校の高校3年生に向けて、進路講演会とかもした。大学で何を学んでいるかとか、受験期に何を考えていたかとか。顔も知らない後輩なのに、とても熱心に話を聞いてくれるし、僕も無意識のうちに、この子たちのために与えられるものは与えたいという気持ちになっていた。

そして家族。普段は照れくさくて深い話もそんなにしないけど、今回はいろいろと話した。将来のこととか、親のこれからのこととか。まぁ、フランクに、けれど突っ込んだ話もしたりなんかして。

 

 

そういう、密な10日間を過ごしたわけだ。

自分もいちおう大学に入って3年目で、周りの友達もみんなオトナになってきていて、だから大人たちと話すことも、それなりに深い内容になってきた。

それぞれがそれぞれの道で感じていることを、受け入れて聴き入れて、その上で自分の想いを伝えあう。そういう会話ができるようになってきたんだなぁと。

 

深く、心の通った付き合いができる存在が、周りにたくさんいるんだなぁ。

その事実はホントに有り難いことだと、そう痛感した。

 

 

ひとりぼっちの寂しさ

ところが。

京都に帰る夜行バスの中で、なんだか落ち着かない。

いつもなら、一抹の寂しさに勝って、京都での生活の希望なんかが湧いてくる。故郷を後にするその背中を押してくれる。

はずなんだけど。

 

今回、正直に言って、めちゃくちゃ寂しかった。

これは、2年前の春に京都でひとり下宿をはじめたあの頃と、同レベルの寂しさだった。

なんでなんだろう?いつもは平気だったのに。

 

京都に着いてからも、何となく寂しくて、

たまらず友人を誘って甲子園に行った。そうでもしなきゃ、誰かといなきゃ、寂しくてたまらない。そんな感じ。

甲子園の翌日は誰とも会話しなかった。コンビニ店員に「はい」と受け答えするくらいだった。もうそこで、寂しさがピークだった。

 

自分は、孤独に強い人間だと思っていた。

いや実際は、「孤独に強い」というよりも、「馴れ合って依存し合う関係を軽蔑していた」という方が近いかもしれない。

そういう共依存の馴れ合い関係はお断り。おれはひとりでも満足しているし、孤独の時間を楽しむことができる人間だ。

そういうイメージを勝手に作り上げていた。

 

それが、簡単に崩されたわけだ。

 

故郷に帰省して、心の通った人たちの温かさに触れて、その優しさを存分に浴びた。

やっぱひとりじゃ生きていけないんだな、と、無意識のうちに痛烈に感じたのだろう。

心の通った関係、自分が好きな人たち、そういうものが常にそばにあってほしい。そういう欲求と、「いや、俺は孤独を楽しめる人間だからそういうのは要らない」っていう強がりとが衝突して、結果としてバカみたいに寂しさを感じるところにまで至ったのかなぁと。

 

まぁ昨日今日はそれを取り返すくらい、いろんな人と喋りまくってきたので、寂しさもだいぶ落ち着いてきたんだけど。

あの寂しさがヘンな形で顔を出すと厄介になりそう。寂しさを解消するためだけの共依存の関係は、ホントに厄介。相手を消費財としてしか見ていない。自分の寂しさを紛らわすためだけの。そんな関係、本当のところで愛がないから、どこかで破綻する。どちらも相手に裏切られたように錯覚する。誰も救われない。

そういう関係を生まないためにも、孤独の時間と交流の時間とは、バランスよくとっていかなきゃいけないんだろうなぁ。

 

寂しさの効用―ひとりぼっちが寂しい人へ

「ひとりぼっちの寂しさ」をちょっとだけポジティブに捉えてみよう。

もしもこの世界に自分ひとりしか存在しないとしたら、寂しさを感じるだろうか?

もちろん、はじめっから、この世界に自分ひとりだったら。

当然、寂しさは感じないわけ。はじめからひとりだけなんだから、「何がひとりぼっちなのか」すらも認識できないだろう。

寂しくないんだ、やったー!…そう思う?

じゃあ、他の感情はどうだろう。

誰かと喜びを分かち合ったり、感動の涙を流しあったり、喧嘩したり慰め合ったり笑い合ったり、、、

そういうことも、自分ひとりだったら、ないわけ。

そこにあるのは「無」しかないわけ。

 

じゃあ、いまあなたが感じている「ひとりぼっちの寂しさ」ってのは、

誰かがいてくれて、はじめて感じられるものだ。

誰か大切な人がいて、そう感じられるんだ。

…いや、逆かもしれない。

自分に寂しさを感じさせてくれる誰かは、かけがえのない大切な存在である。

私に、そういう感情を与えてくれるわけだから。

本当に自分ひとりだったら、その感情さえ無いわけだから。

つまり、

自分がひとりぼっちで寂しいと感じられているうちは、周りに大切な人たちがいてくれている。

大切な人はそこにいる。そのことを忘れないために、寂しさという感情は存在するのではないか。

 

そんなふうに考えてみたらどうだろう。

 

 

 

お読みいただきありがとうございました。

おしまい