つなろぐ。

日々を綴る。

予定通りにいかないからこそ、面白いんだろ、人生は。(ぶっちゃけ夏休みの予定狂いまくってそこそこ涙目わろえない)

こんばんは。

みなさんは夏休みの予定、もう決まってきた頃ですか?

今年は僕の学年が3回生ってことで、周りも実習やら就活やら何かと忙しそうでね。

まぁそんな忙しい中を縫って、お楽しみ企画を遂行しようとしてるわけですね。

ただまぁ、そういうときに限って、どうも予定がうまく合わない。こう、絶妙なタイミングで、合わない。

そういう悔しい思いをしたことのある人って多いと思います。

 

僕もそういう人間の一人で。

前々から予定してたことが、なんか知らんけど計画倒れしていく。

たとえばね、

二人で飯行きましょうね!って、昨年の6月から約束してた人がいまして、昨日(木曜日)の晩に会う予定だったんです。ほんと、二人きりでじっくり話すのなんていつ振りだよっていう。めっちゃくちゃ楽しみにしてたのに、台風が来るということで延期に。。。んで、蓋を開けてみれば、何のことはない穏やかな天候。台風ね、来るなら来るで仕事してね、うん。

他にも、京都の友だちを連れて帰省旅行したり、逆に地元の友だちが京都に遊びに来てくれたりなんてことを、それはそれはんもう楽しみに計画してたのに、なんかどっちもオジャンになっちゃいそうな感じ。ほんっと、人の予定を狂わす才を持って生を受けたかのようですわ、僕は。

 

とはいってもね、

そういう、運命の気まぐれにいちいち一喜一憂していてはアレだと、人生つまらんだろうと。そういう風に思うようにしてるんですよ。人間万事塞翁が馬、予定通りにいかないから面白い。予定調和の人生じゃ、それ、「生きている」って言いませんよね。ただ「死んではいない」って状態で。「存在している」ことと「生きている」ことは全く違うって、なんかどっかで耳にしたことがある気がするぞい。

 

てなことを、この本を読みながら考えていました。

遊びと人間 (講談社学術文庫)

遊びと人間 (講談社学術文庫)

 

ロジェ=カイヨワ、『遊びと人間』。

以前、「遊びの社会学」という分野にちょーっと関心がありまして、少しかじる程度に読んでみたのです。

ホイジンガという人が、「人間はホモ=ルーデンス(遊戯者)である」と唱えたことを、世界史だったか倫理だったかで習ったことがあるって人もいるかと思います。インパクトあるよね、ホイジンガって。

(こういう、ホイジンガさんとかカイヨワさんとかに代表される、遊びの人類学、遊びの社会学にはじわじわ可能性を感じています。というのも、僕が専攻するつもりの労働社会学とは反対の概念だから。「仕事」と「遊び」って、逆の概念として用いられることが多いです。生活における立場とか、責任の有無とか、そういったところで対になる捉えられ方をされている...と認識しています。不勉強なもので、あまり自信はありませんが。)

 

んで、この『遊びと人間』にはこういったことが書かれている。

どういう人を立派な遊戯者と言うのか。それは、次のことの分かっている人だ。不測の事態を、好んで求めたとは言わずとも、進んで受け入れてきたのだから、不運に文句をいったり、不幸を嘆いたりする権利は自分にはない、ということの分かっている人である。

立派な遊戯者とは、一言でいえば心の平静を保って遊びの領域と生活の領域とを取り違えない人のことである。たとえ負けても、自分にとっては遊びは遊びだ、という態度のとれる人のことだ。

つまり、遊びは気晴らしであって、これを大層に考えるのは高貴な魂にふさわしくなく、偶然の仕業に打ちひしがれるのははしたないと考える人のことである。(pp.299-300)(改行、太字はブログ著者による)

カイヨワさんは、遊びの定義を6つくらい挙げて、遊びの種類についても体系化していた。それについてはここでは触れないけど、遊びの領域と生活の領域は分けて考えていたみたい。

まぁ彼の解釈とはちょっとずれるけど、僕は上の引用から、「人間万事塞翁が馬」みたいなことを想起した。

とりあえず、「人生」というある種の「ゲーム」の上では、何が起こるか分からない。だけど、そこが面白い。

いや、たしかにね、夏休みの予定、もっと計画通りにいけばそれ相応の楽しみがあったと思うよ?めーっちゃ楽しかったと思う。それは間違いないと思う。

けどもね、人生における予想外の番狂わせを心から楽しめるようであれば、まぁ大抵のことは苦にせず生きていけるんじゃないかなぁと。んで、これは別に、ストレスフリーな生き方を推奨しているわけではないですよ。不測の事態が生じたときに、人生を暗くするネガティブなストレスとして受け取るのか、それとも、人生にスパイスを加えるポジティブなストレスとして受け取るのか。その違いで全然違ってくるんじゃないかなって。

 

うん、そう思いました。

ただまぁ、思えども思えども、予定は計画通りいきません。

鷹揚に、寛容に、カラッとした広い心持ちでいきましょて。

 

はい。

お読みいただきありがとうございました。

おしまい