「○○でいい」より「○○がいい」
さっき、散髪してきました。
美容院ではヘアスタイルの注文とかしなきゃいけないですよね。
僕はいつもと同じにしてもらうことが多いので、あんまり凝った注文とか付けるの苦手なんですが。
美容師さんに「○○な感じにしましょうか?それとも△△のほうがいいですか?」と聞かれて、
「あー、○○でいいですよ」と答える。
なんでもないやり取りのように見えるけど、「○○でいい」って答え方に何となく違和感を覚える。
「○○の方がいいっすね」と答えた方が、自分で選んだ感があってなんかいい。なんかいい、以上の何でもないけど。
たとえば、
ヘアスタイルを注文するとき、
ファミレスでメニューを選ぶとき、
観る映画を選ぶとき、
今日なにして過ごすか決めるとき、、、
「○○でいい」って決め方だと、自分の本心に根差してないみたいで、なんかグッと来ない。妥協の人生のはじまりだ。
「○○がいい」って決断すると、自分はそれを選んで生きてるんだって感じられて、主体的な生き方につながる。そうやって、選択と決断で生きられている自分を好きになれるかもしれないしね。
たとえば、
「あなたでいいや」と言われるのと、
「あなたがいいんだ」と言われるのと、
どちらが気持ちいいか。
「あなたを選ぶ」という点では同じなわけです。
どうせなら、自分も相手も気持ちよく感じる方を。
どんなにお飾りの言葉を並べ立てても、たった1文字の違いには勝てない。