古本屋に見る「学び」の本質
こんちは。
古本屋さんって、なんであんなに魅力的なんでしょう?
なんでなんすかね?
魅力は考えてみればたくさんあると思うんですが、僕にそう思わせる最も大きな要因は、
「いつでもそこにない」
ということかと。
- 作者: 恵文社一乗寺店
- 出版社/メーカー: 毎日コミュニケーションズ
- 発売日: 2010/10/13
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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知る人ぞ知る、京都が誇る名書店、「恵文社一乗寺店」の著作。
ここに、古本屋の面白さの秘密が書かれていました。
うろ覚えなので引用はできないんですけど、大体の内容は以下のよう。
「いつでもそこにない」ということ
古本屋さんって、店主の嗜好で品揃えも変わってきますし、どんな本が持ち込まれるかによっても本棚の中身は変わっていきます。
その結果、「いつでもそこにない」という状況がつくり出されます。
「いつでもそこにない」―つまり、お目当ての本がいつでもあるとは限らないのです。
だから古本屋って、「今日はあの本を買うぞ!」と意気込んで向かう場所ではなく、予想外の掘り出し物との出会いを期待してふらりと立ち寄る場所、とも言えるのではないでしょうか。
そして、「何かよく分からないけどこれは買っておいたほうが良さげ…?」という直感がはたらき、めでたくご購入の運びと相成るわけです。はじめはそんなつもりじゃなかったのにね。
ここで、「そんなつもりじゃなかった」というところが、「学びの本質的なあり方」のポイントかと。
古本屋は「学びの本質的なあり方」を体現している
「何の役に立つのかわからないものを、とりあえずストックしておく営み」というのが学びの原型にあると、内田樹さんだったか誰かが言われていたような気がしますが、古本屋の例はまさにこれで。
なんだかよく分からないけど、「いつでもそこにない」からこそ出会えた本がある。それをとりあえず自分のものにしておく。今は要らないものでもストックしておく。これが古本屋を物色するときの醍醐味であり、巡り巡って読書や学びの楽しさにつながってるんじゃなかろうかと。
「学びの本質的なあり方」は、偶然の出会いをとりあえず自分のものにしておくこと。それがどのように役立つかは今は分からなくていいから、とりあえずストックしておくこと。
古本屋に行くと、この「学びの本質的なあり方」に自然な形で導かれます。これが楽しいからやめられないんだろうなぁ。
まぁ、そんなことを言ってるから積読本だけがわんさか増えてく状況になってるんですけど。自由に遣える時間がたーくさんある学生生活のうちに、モリモリ読んでいきたいですね。
お読みいただきありがとうございました。
おしまい