つなろぐ。

京都の大学生、日々を綴る。

自分のことは別にいいから、まずは相手に没頭してみれば?

こんばんは。

久々の更新です。

普段からブログに書くネタには困らない程度の楽しい日常を過ごしてはいるのですが、んじゃ書くのか?っていうと別にそうでもない。

要は気の持ちようですね。更新せんでも、僕は生きているし、楽しくやっています。

 

さて、今日は何の話かというと、

「対人関係において、いかに自分を気にしすぎているか」

についてです。

 

先日、顔に怪我しちゃって、ここ最近は絆創膏貼ってたんですね。

小学生じゃあるまいし、やっぱちょっと恥ずかしいものです。顔に絆創膏って。

その状態で他人と対面すると、やっぱどこか恥ずかしい。

フツーに考えたら、変な格好してるわけですから。相手も気にしてんだろうなって思っちゃう。

この、「うわ~。今、自分めっちゃ見られてるわ~。」って感覚が、対人関係においてちょっとした問題になるのかなって。

 

 

普段、僕は他人と対面するときに、「自分がどう見られているか」についてあまり気にしていません。

それは別に、ファッションに気を遣わないだとか、そういうことではありません。身だしなみとか言葉遣いというのは、他人と接するときの最低限かつ最優先のマナーでしょうから。

「自分がどう見られているか」ってのは、「自分がどういう人間か判断されている」って言い換えてもいいかも。そして、そういうことは普段は気にしない。繕った自分を演じていても、しょうがないですからね。

 

しかし、今回はたまたま顔に絆創膏を貼っていたから、「見られている」という感覚がクローズアップされていました。

「あー、この人の目線、絆創膏に向いてるわー。変だと思われてないかなー。」

そういう、自分の外見に対する意識がふつふつと浮かんでくるのです。

 

ただね、それじゃちょっとおかしいんじゃないかなって思ったんです。

人と会話するなんてこと、何でもない日常の一コマに見えますけど、実は奇跡的なことで。

誰かと同じ時間を共有するってことは、その命を同じことに遣ってるっていうことで。

その奇跡的な瞬間に、自分のことばかり考えていたのでは、勿体ない。そう強く感じました。

 

心の底から相手に関心を持とうとせず、相手の目線や自分の評価ばかりを気にしている。

そういうことに命を遣ってるのは、ホント勿体ないって。

 

自分を一番大切にするのは悪いことではありません。少なくとも僕は、そう信じています。

自分を一番大切にできる人は、外見がどうだろうがなんだろうが、自分は自分であることを受け入れているし、そういう自分を好きでいられます。

すると、他人と対面しているときに自分のことで頭をいっぱいにする必要がないわけです。今さら自分の価値とか人間性とかに悩む必要がない。

だから、余裕ができる。相手の話にのめりこみ、相手を知る余裕ができる。

そうやってかけがえのない出会いを増やしていくことが、幸せに生きることにつながるんじゃないかな。

 

自分のことを気にしている暇があるなら、本気で相手と接してみれば?

情けなくてちっぽけで嫌いだった自分なんてものが見えなくなるくらい、相手の世界に没頭してみれば?

そこで生まれた出会いが自分を引き上げてくれるかもしれないのに、チャンスがそこら中に溢れているのに、やらないなんて勿体ない。

 

そもそも他人なんて、あなたのことなんかそんなに見てないよ。あなたが思っているほどには。「自分が人からどう見られているか」なんて悩みは杞憂でしかない。みんな、ほどよく気にしてくれて、ほどよく放っといてくれるんだ。

人間なんて誰だって、心のどこかで思っている。自分が一番大切で、自分が一番正しいって。でもそれって大事なことだ。自分を大切にできているからこそ、他人を大切にできるんだろう。

 

そんなことを思いました。

お読みいただきありがとうございました。

おしまい