自己啓発書オタクの「不感症なポジティブバカ」こそ、心無い言葉を振りかざす
3月21日に東京で行われた、加藤秀視さんと長倉顕太さんのトークライブに参加してきたので、そこで気づいたことなんかも今後書いていこうと思います。
自己啓発書オタクの「不感症なポジティブバカ」こそ、心無い言葉を振りかざす
なかなか、過激な切り口ですが。
言っていることは全然難しくない話です。
まず、よい例から。
毎日毎日いつでも笑顔。どんなに苦しいことがあっても、笑顔を絶やさずポジティブに生きている。
そういうことが、「心の底から」できる人は、いいのです。
それができる人は、ありのままの自分を全肯定していて、自己愛に満ちている存在です。
自分のいいところも悪いところも、両方あって自分なんだ、と。それでこそ自分が在るのだ、と。そう「心の底から」自分を肯定できる人は、どんなことがあっても笑顔でポジティブに生きられるでしょう。
また、そういう人は、自分を肯定しきれているから、他人や世間が勝手に決めた価値観に振り回されることなく、自分の感情に正直に行動することができます。
自分の感情に正直に生きる。だからこそ、自分の選択に自信を持った生き方ができる。
自分の感情に正直であるということは、自分の感じる苦しみや痛みにも素直に向き合えることを意味しています。そうした弱さを持った自分を責めることはなく、等身大の自分を受け容れられる。
だからこそ、他人の感じているであろう苦しみや痛みを、できる限り理解しようとすることができます。他人を完全に理解することは不可能ですが、心からの理解と献身を能う限り捧げることができる。
そういう意味でのポジティブな人ってのは、ホント魅力的に思えます。
対して、よくない例。
昨今巷で大人気の自己啓発書には、「嫌いな人にもいいところがある」だとか、「苦しい時こそ笑顔」だとか、俗に言う"イイ話"が山のように溢れています。
これをそのまま鵜呑みにして、形式的に実行しようとするから、「不感症なポジティブバカ」が量産されます。
具体的に言えば、
「本当は好きでもない仕事なのに、無理していいところを探して続けようとする」
とか、ね。
自分自身の正直な感情を偽って、好きでもないことを好きだとか言って、無理やりこじつけて生きている。
そういう「歪んだポジティブさ」を持ち続けると、人間は「不感症」になります。
自分が嫌いだと思うことを嫌いだと言えなくなる。
自分が好きだと思うことを好きだと言えなくなる。
結果、自分の本心すら分からなくなるような、感性の鈍い人間として生きることになる。
自分自身のことすら分からない感性では、当然、自分以外の人間のことなんか微塵も分かりっこありません。
(これは、あくまで論理的にそうなるっていう話です。見方によっては、自分とは何者か、他者とは何者かといったテーマは永久に結論の出ない問いでもあります。)
大事なのは、
自分の気持ちを大切にしているからこそ、他人の気持ちも大切にできるのであり、
他人の気持ちを大切にできるからこそ、それを他人事ではなく自分事として受け止めることができるのだ、ということ。
これは僕の個人的な話ですが、
自分も経験したことのある不安や緊張といった悩みを抱えた人には、素直に共感することができます。俺も分かるよ、というメッセージを伝えます。
しかし一方で、その人の気持ちに寄り添ってみたときに、「この人が抱えている困難や悲しみは、自分には経験のないものだ」と感じたときには、慎重に言葉を選ぶようにしています。時には、言葉なんてかけられない場合もあります。そばにいることでしかどうすることもできないときも。
たとえば、ひどいいじめや虐待を受けた経験だったり、芸術活動における特有の悩みだったり、です。自分に経験のないことで悩んでいる相手の感情を忖度することは、かなり難しいことだろうと思います。
軽々しく「分かるよその気持ち」なんて、言えないときもあるのです。
そういうときに、「不感症のポジティブバカ」は、
「切りかえて元気だそうよー!きっと大丈夫だからさー!」という言葉を投げかける。
別に、その言葉自体が悪いってわけじゃない。そういう言葉をかけてもらって立ち直れた人もいるだろう。
しかしながら、そうじゃない人だっている。「お前に何が分かるの?」と戸惑う人だっている。
この人はそのどちらなのだろうか。いま自分は、この人の感情をどこまで理解しきれているだろうか。この人にかけるべき言葉は何か。いや、いまはそばにいてあげることしかできないのだろうか。
感性を働かせて、そうした感情の機微を察する能力が、「不感症のポジティブバカ」には欠如している。
と、思いました。
まとめとしては、
ありのままの自分を全肯定すること。自分の感情に正直になること。自分を愛すること。
その上で、相手の気持ちを自分事のように感じられる感性を磨くこと。
んで、時と場合に応じて、相手に接すること。
でしょうか。
【関連記事】
:内田樹の研究室 2006: コミュニケーション論二題(←嫌いな人との付き合い方論)
お読みいただきありがとうございました。
おしまい