つなろぐ。

京都の大学生、日々を綴る。

餞の言葉

 

今日は母校の卒業式でした

学年が2つ離れた後輩も、高校を卒業する時期になりました。

 

2コ下ともなると、普段の学校生活ではほとんど関わりは持てなかったし、部活でさえもほんの少しの間しか関われなかった印象があります。

しかしながら縁あって、昨年夏に受験生に向けてお話とかをさせていただく機会がありました。そのとき久々にこの学年の子たちと会うことができましたが、1年生の頃と比べて、幾分か顔つきが凛々しくなっていたのを覚えています。

そして、あれから7か月。それぞれに与えられた試練を乗り越えて進路を定め、一段と成長したことではないかと思います。

 

卒業生のみなさんの前途洋々たる未来を祈念します。卒業、おめでとう。

 

校歌より

卒業式でも歌われたと思います、校歌。

ウチの高校の校歌めっちゃ好きだっていう僕の個人的嗜好はどうでもいいんですが、その校歌の中のある一節は、特に好きです。

 

「世は我が起つを待てるなり 何処飛躍の地ならざる」

"世の中は私が決起するのを待っているのである。どこが、私の活躍する場所でないだろうか、いや、あらゆる世界に私の活躍する場所は広がっているのである"

って感じでしょうか。

 

2年前の卒業の日も、この一節に胸を昂らせていた記憶があります。

まぁその気持ちは今でも持ち続けていたいものなんですが、卒業の頃とはまた違った思いを抱くこともしばしばなので、一先輩が感じたことをば。

 

 「世の中から」ではなく、「自分から」

「世は我が起つを待てるなり」の一節を字義通りに解釈すれば、「世の中は、私が起ちあがるのを、待っている」ということになります。

「世の中」は、「待っている」のです。

あなた自身の活躍の場を、世の中の側から、無条件で与えてくれるわけでは決してありません。

あなた自身が世の中に向き合って行動し続ける、その過程の中にあなた自身の活躍の場を見出せ。

この一節は、そういうメッセージを投げかけてくれているのだと思います。

 

ただ、そうした努力を続けられる人ばかりかというと、そうではない。

大学生になると、自由な時間が一気に増えます。個人差はありますが。

皮肉にも、人間は自由の大海に放り込まれると、心から欲して止まなかったその自由に溺れる。

自由すぎて、何がしたいのか分からない。自由すぎて、何をすべきなのか分からない。

そういう状況に陥ることもしばしば、、、。


僕も実際、これまでの大学生活の中でそういう時期を経験しました。

そうした時期のある日、「世は~」の一節が頭に浮かびました。そして思ったのは、

「世の中は自分に何を期待しているのだろう」ということ。

しかし、それを思い悩んだところで、別段何かが変わることはなかったのです。

 

「世の中は自分に何を期待しているのだろう」という問いを世の中に投げつけている時点で、「自分が世の中に答えを期待してしまっている」のです。

「待っている」はずの「世の中」から動いてくれることは、ない。

動くのは、いつも自分から。

そういう気持ちを心の片隅にでも置いといてくれれば、いつか迷い悩んだときの支えになるかと思います。 

 

まぁ、あんまり臆することなく、一歩一歩進んでいこう

とはいえ、いつだって自分から行動することのできる人ばかりではないですよね。

「そもそも、オレって何がしたいの?」と自問自答し、悶々とした悩みをじっくりと考えることができるのも、学生の特権ではないでしょうか。子どもと大人の狭間にあるモラトリアムの時期だからこそ生じる悩みも、あって当然。

大学に入ると、ホント色んな人がいます。ガンガン行動する人とかを見ていると、立ち止まっている自分に自信がなくなっちゃったり。様々な価値観にあてられて、フラフラしたりすることもある。

けれども、そういう経験があってこそ、自分の納得のいく一歩が踏み出せるのではないかな、とも思います。僕もそういう時期を経験して、今はやりたいことをいくつかやり始めているところです。臆することはない。

 

てなところで、母校卒業生への餞の言葉としたいと思います。

ご卒業、おめでとうございます。

 

お読みいただきありがとうございました。

おしまい