つなろぐ。

京都の大学生、日々を綴る。

音楽依存症と孤独について

こんばんは。

今日は昼に起床。ゆるりとやってました。

16時くらいに鴨川でお散歩してたんですけど、超また~りできて幸せでしたね。

土日は家族連れも多いですし。

小さな子どもを連れた親御さん、楽しそうに戯れてました。いいなぁ。

お父さんと娘2人で来てた家族があったけど、お父さんの計らいでやってた遊びが娘にめっちゃウケてた(笑)

父親になったら絶対真似しようと思わずにはいられませんでしたねアレは。

 

今日のお話

さて。

僕はけっこう音楽を聴く方で、生活の隣には必ずと言っていいほど音楽がある。

(別に音楽を奏でる側の人間じゃないけど。)

朝起きたら、まず何かしらの音楽をかける。

一日のテンションを左右する大事な30分です。朝支度の時間。

自分が心地いいと思う音楽をかける。

んでその後は、

外出するときも。

勉強するときも。

読書するときも。

トイレのときも。

風呂入るときも。(iPhoneジップロックに入れると防水しながら操作できるんですよね)

寝る前にも音楽かけてたりする。

 

けどそんな生活を続けていたら、どことなく気持ちが悪くなってきた。なぜだろう。 

 

孤独に耐えられない自分

周りの友達とか典型的な大学生(まぁ「典型的大学生」の定義はって言われたらそんなん無いんですけど、イメージとして。何となく分かりますよね?)なんかを見ていると、たいてい群れているから、

そういう人たちにとって「孤独」は寂しいし恐怖の対象なのかもね。

 

僕は孤独に対してそうした悪いイメージは持っていない。

ご飯も誰かいないと無理、なんてことはないから勝手に一人で食べるし。

テレビも必要ない。人の声が恋しいからとりあえず点けておくって人もいるけどそういうのも全然ない。

けれど、必要なときに必要な話をできる友人はたくさんいる。

だからそれで十分だし、周りの大学生みたく毎日のように群れることはホント必要ない。無意味。金と時間の無駄。

ただ今回の一件で、自分はどうやら気付かないところで孤独感を抱いていたのだと、

そして、音楽を聴くことでそれを紛らわしていたのだと分かった。

そうした無意識の感情って、かなり強く行動に反映されると思う。

知らず知らずのうちに孤独に対するストレスを抱えていた自分は、音楽に過剰に寄り添うことでそのストレスを和らげようとする。

一つのことに異常に執着したときって、かならずどこかに破綻を来す。

今回はきっと、「音楽が自分の孤独を蝕んでいったために」違和感を覚えたのだろう。

 「これ以上俺のプライバシーに踏み込んでくんな」って、身体が音楽を拒否するような、そんな感じだろう。

何事も、やりすぎはいかんのですね。

 

孤独のススメ

「孤独」というものを考えたとき、ふと思い出した本がある。

孤独のチカラ (新潮文庫)

孤独のチカラ (新潮文庫)

 

 これは一昨年の夏、大学1回生の夏に初めて読んだ。

齋藤孝さんの本はけっこう好きで、次言いたいことはコレだろって先読みできるくらいには読んでます。

メディアでもよく顔を見かけるし、いつもハイテンションなところもまた好きなんですが。

そんな彼の18歳から32歳までは、今とは打ってかわって《暗黒の十年》だったらしいです。本作はその間の「孤独と向き合う」壮絶な経験を綴ったものです。

 

これを読んでみると、沈潜して力を蓄える「孤独」の時期が如何に大切かってことも分かるかと思います。

読んだ当時は大学1回生の夏でしたし、みんなで群れて楽しくワイワイやってたいわって思ってた自分もいたのですが、

それだけでは力がつかない、いつまでも成長しないんだなと痛感しました。

200pに満たない分量。非常にコンパクトにまとまっているんでスラリと読めます。興味あればぜひ。

 

最後に、気になったところを引用。

勉強がつらいのは、孤独の中でやるものだからという一面もある。問題集を解くのも、本を読むのも、その時間は人は孤独になる。しかし、孤独によってしか効率や生産性を高められないのが勉強や読書といった行為である。そのつかの間の孤独にも耐えられないと、テレビやラジオ、好きな音楽などを流しっぱなしにして、ながらで気を紛らわすことになり、得るものは少ない。(p.5)

 「ながらで気を紛らわす」とか、耳の痛い話です。

思えば、受験期なんかは勉強するときに音楽聴くなんて考えられなかったですから。頭に入ってこないしね。

 

ただひとつ気になったのが、読書とか勉強というのが基本的に孤独な作業であるという点について。たしかにそうであるとは思うんだけど。

孤独のうちに読書に耽ってたりすると、そこにいるのは実は自分だけではないですよね。考えるまでもなく、そこに本があるし。

「わたし、本さえあれば十分だわ」といって図書館を自らの城としているような子とかも。今までの学校生活の中で見かけてきたような気がしますが、それだって立派な依存ですよね。本に対しての。

さらには、その本の著者との時空を超えた対話を行ってたりするわけです。積極的に孤独を選んで自己研鑽のために読書に邁進するような人ならば、そういう経験があってもおかしくは無いはずです。

とすれば、この状況を本当に「孤独である」と言い切れるのだろうか?

結局のところ、「本当の孤独」には足を踏み入れられないでいるのでは?

てか、生きているうちには「本当の孤独」って体験できないのでは?

 

とかなってくるんですけど、ここについては全然深めてないし長くなりそうなんで今日は終わりです。あやふやな問題提起です。

 

「孤独」を求める人こそ「家族」を持つべきだ:ぼくが「友達」を必要としない理由 : イケハヤ書店

 

 

お読みいただきありがとうございました。

おしまい